2022年1月23日 阪神淡路大震災追悼礼拝説教 後藤弘牧師
哀歌 第3章16~24節
私の歯を砂利で砕き、
灰の中で私を踏みつけられた。
私のたましいは平安から見放され、
私は幸せを忘れてしまった。
私は言った。「私の誉れと、主から受けた望みは消え失せた」と。
私の苦しみとさすらいの思い出は、
苦よもぎと苦味だけ。
私のたましいは、
ただこれを思い出しては沈む。
私はこれを心に思い返す。
それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。
主の恵みを。」
実に、私たちは滅び失せなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は偉大です。
主こそ、私への割り当てです」と私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。
先週の月曜日、1月17日は、阪神淡路大震災の27年目の記念の日でした。地震が起こった早朝5時46分、日が昇らない暗い中、祈りがささげられました。その真ん中には、灯篭の灯りで描いた文字が輝いていました。忘れないの漢字ひと文字と、1・17。阪神淡路大震災の悲惨さと6434人が亡くなった悲しみを忘れない。阪神淡路大震災を忘れないと言うことは、次々に起こる災害で悲しんでいる人を忘れないということです。コロナ禍で苦しみ悲しんでいる人を忘れない。トンガで被災した人たちに思いを馳せるということです。
阪神淡路大震災がボランティア元年と言われています。その後、311東日本大震災をはじめ、日本各地の災害に多くの方がボランティアに行くようになりました。教会も災害が起きる度に、たくさんボランティアを遣わしました。災害だけでなく、私たちの周りには忘れてはならない人たちがいます。愛する人の死を悲しんでいる人、病で苦しんでいる人、思いがけない困難によって立ちすくんでいる人。
記念の日の午後、キリスト者が集まって「阪神淡路大震災追悼の集い」が行われました。毎年行われている集会です。司会そして賛美をささげたのが、先ほど映像で涙を流していた森祐理さんでした。森祐理さんは、地震があった朝、東京にいました。弱い地震で目を覚ましましたが、まさか神戸の街が壊滅したとは思いもよらず、そのまま寝ました。翌日、仕事でスタジオにいたとき、おばさんから電話が入りました。「祐理ちゃん、しっかりせいや、渉君、あかんかった」。仕事の途中でしたが、家に帰り、次の日の朝の飛行機を予約しました。そして、今見たビデオのように、渉さんのアパートを訪ねたのです。
ビデオにも、神戸の家々が潰れてしまった悲惨な光景を垣間見ましたが、聖書のなかにも、神さまを信じる者たちの街が、破壊されてしまった経験が記されています。そのみ言葉から災害に見舞われた人の悲しみの深さを知ることができます。今日は、旧約聖書の哀歌から、イエスさまの「泣いている者たちとともに泣く」愛を学びたいと思います。
紀元前586年、イスラエルの都エルサレムは、大国バビロニアの強大な軍によって破壊され、町を焼かれ、滅亡しました。阪神淡路大震災や311東日本大震災の映像で見たような壊滅的な状況でした。バビロニアの政策は厳しいものでした。イスラエルの人たちが、再び力をつけて歯向うことができないように、ユダヤ社会を支えていた多くの男たちを捕虜としてバビロニアに連れて行きました。廃墟となったエルサレムに残されたのは、多くの女性や子どもたちでした。哀歌は、都エルサレムの崩壊の悲惨さだけでなく、残された人々の悲しみ苦しみが記されています。また神の民であるイスラエルが神に見捨てられたんだという嘆きも書き留められています。
哀歌は、涙の預言者、悲しみの預言者と呼ばれるエレミヤが書きました。哀歌全編に渡って悲しみと嘆きが歌われています。預言者エレミヤの悲しみと残された者たちの悲惨さを語っている言葉のひとつがこれです。哀歌第2章11節です。
私の目は涙でかすみ、はらわたはかき回され、肝は地に注ぎ出された。
私の民の娘の破滅のために。幼子や乳飲み子が都の広場で衰え果てている。
「娘」は都エルサレムのことであり、イスラエルの人たちのことです。「幼子や乳飲み子が都の広場で衰え果てている」。子どもたちは食べる物がまったくなく衰え果てています。乳飲み子が母の乳をくわえますが、何も食べていない母の乳からは一滴もでないのです。母を殺されてしまった乳飲み子もいます。母たちが胎の実や幼子を食べたという驚きの記述もあります。廃墟エルサレムは目を覆わんばかりの悲惨さでした。
そして今日のみ言葉です。哀歌第3章16~24節
私の歯を砂利で砕き、
灰の中で私を踏みつけられた。
私のたましいは平安から見放され、
私は幸せを忘れてしまった。
私は言った。「私の誉れと、主から受けた望みは消え失せた」と。
私の苦しみとさすらいの思い出は、
苦よもぎと苦味だけ。
私のたましいは、
ただこれを思い出しては沈む。
私はこれを心に思い返す。
それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。
主の恵みを。」
実に、私たちは滅び失せなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は偉大です。
主こそ、私への割り当てです」と私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。
16節、歯を砂利で砕かれるような暴力を受け、灰と帰した街で伏しています。17節、神と共に歩んでいたときの平安は消えてなくなってしまいました。幸せだったことさえ思い出すことができなくなってしまいました。18節、神の民である誇りも主にある望みも消え失せてしまいました。19節、廃墟のなかの苦しみとさまよい歩いたことは苦い思い出でしかありません。20節、それを思い出すたび、たましいは悲しみの底に沈んでいく。
21節を読む前に、注意して欲しいことがあります。20節の「これ」は原文にはありません。翻訳者が分かりやすいようにと「これ」という言葉を加えました。文語訳や英訳では複数の「これら」にしています。また、フランシスコ会訳や新共同訳や聖書協会共同訳は「これ」や「これら」を加えずに訳しています。
フランシスコ会訳 忘れはしない、忘れはしない、それ故、わたしの魂は落胆するのだ。
新共同訳 決して忘れず、覚えているからこそ/わたしの魂は沈み込んでいても
聖書協会共同訳 思い出す度に私の魂は沈む。
直訳すると「思い出す、思い出す、そして沈む、そして沈む、私の魂」。詩的な言葉で記されています。
そうすると、ですから、20節の「これ」あるいは「これら」と訳したのは、エルサレム陥落の際の数々の悲惨さのことです。今も悲惨さをしばしば思い出してしまい、心が沈んでしまう。
さて、21節にも「これ」という言葉があります。こちらの「これ」は原文の先頭に記されています。はっきり書かれています。21節の「これ」は、20節で忘れられない悲惨さの「これ」ではありません。21節から読み続けると分かってきます。悲惨さの悲しみに縛られ心が沈んでしまっても、落胆していても、ふっと思い返すことがある。いや、主が思い起こさせてくださる。それが22節の「主の恵み」です。
この恵みはヘブル語で「ヘセド」と申します。どこかで聞いたことがあるかもしれません。旧約聖書のなかで、神さまの憐れみ深さを最もよく表し、最も大切な言葉です。真っすぐに訳すなら「神の愛」です。英訳は「主の偉大な愛」と、神さまの大きな大きな愛だと訳しました。「神の愛」を、言葉を換えて続けて表現しています。「つきない主のあわれみ」「真実」。24節では「主ご自身」だと言っています。
ここで大事なことは、エルサレムが壊滅し、さまざまな悲惨さを味わい尽くしているけれども、しかし、そこで「神の恵み、神の愛」を思い返すことができたんです。神が思い起こさせてくださったんです。都エルサレムは廃墟となってしまったが、しかし、私たちは滅び失せなかった。この廃墟のなかに、滅んでしまったと思えるような惨めさのなかにあるけれども、神の恵みが来る。朝ごとに新しい恵みが来ている。自分たちから主の恵みがなくなったのではない。滅びのなかにも恵みは消えることはない、それが神の愛の真実だ。恵みそのものであられる主を待ち望む。21節「私は待ち望む」24節「私は主を待ち望む」は、どちらも「私は希望を持っている」という言葉です。つまり廃墟の中にも希望がすでに主の恵みによって置かれているのです。
私たちは、このことを忘れてはなりません。どんな悲惨な状況にあっても、新しい恵みはなくならない、朝毎に与えられている。滅びのなかに主の希望が置かれている。希望が輝き始めている。主の恵みが、主の希望が、私たちが滅びの中にいようとも、死の中でさえ、私たちに語り掛けてくる、神さまはあなたを忘れない、決して忘れていない。
先ほどビデオを見たように、森祐理さんは、阪神淡路大震災の直後、亡くなった弟渉さんのアパートを訪ねました。残された渉さんの写真を見て、涙を流しながら言っていました。「これも神さまの最善なんだ、これまで神さまは私にへんなことも嫌なこともなさらなかった。これもきっとよいことになると信じている」。
ただし愛するの弟を亡くした悲しみがなくなったわけではありません。昨年の追悼の集いで、26年経った今でも、あのときの衝撃は忘れませんと言っていました。27年経った今でも、いや、生涯忘れることができないでしょう。私たちは、愛する人を失った悲しみは、ほんとうに深いことを忘れてはなりません。
森祐理さんが言ったあの衝撃というのはこういうことです。渉さんのご遺体を家に迎えたとき、泥だらけの毛布に包まれていました。それを見た森祐理さん、心に大きな穴がぽっかり空いてしまったんです。その衝撃のことです。しかし、こう言われるんです。「その穴から人の悲しみが入ってきて、それまでとは違って、人の悲しみを心から共有することができるようになったんです。神さまは弟の死を無駄になさらなかった。渉は神さまに与えられたいのちを生き切ったのだと信じています」。ですから、弟さんの死を経験して、歌う姿勢が変わったと言いました。それは戦前と戦後ほどの違いがあるそうです。「それまでは『私の歌を聞いてください』という気持ちだったけれども、今は、泣きながら歌っても心がつながるんだなと思います。弟を失った悲しみが、私の心の扉を開いたからです。悲しみは悲しみで終わらないことを知ったのです。私はこう言えると思っています。森祐理さんの悲しみをイエスさまが包んでいてくださる、だから悲しみを安心して悲しむことができているんだ。イエスさまが包んでくださっていなければ、悲しみで心が「沈む、沈む」だけなのです。だから森祐理さんは、その後、日本飢餓対策機構の親善大使となり、311東日本大震災、日本各地の被災地、世界中の被災地に遣わされ、神さまの愛をうたい続けています。イエスさまが悲しみを包んでいてくださるからです。慰めていてくださるからです。
昨年の追悼の集いは、コロナ禍の影響で、オンラインで行われました。その中で、森祐理さんや渉さんのお母さま尚江(ひさえ)さんが証しをなさいました。お母さんは幼かった子どもたちを毎週教会に連れて行っていた、どこの教会にもいるクリスチャンのひとりです。わが子を突然の災害で亡くした母の悲しみは計り知れませんでした。震災当日、お父さまの茂隆さんは徒歩で渉さんのアパートに行かれました。二階建てのアパートの一階が完全に潰れて二階が一階に見えるような状態でした。渉さんは一階の部屋でした。茂孝さんが潜り込むようにして捜したところ、渉さんの足が見えました。柱の下になっていましたから、どうしても引き出すことができませんでした。多くの方の協力をいただいてやっと運び出すことができました。厳しい寒さのなかご遺体の前に座り込んでしまいました。大家さんが見かねてカイロをくださいました。茂孝さんはどうしたと思いますか。そのカイロで冷たくなった渉さんの足を温めてあげていたそうです。そして妻の尚江さんに電話をしました。尚江さんは「落ち着いて聞いてくれ」という夫の言葉を聞いただけでくらくらして倒れそうになりました。そのあと「渉が駄目だった」と言っているのは分かりましたが、もう頭が真っ白になってしまい、そのほかは何を聞いたかは覚えていませんでした。検視に手間取ってしまい震災から5日後に、やっとご自宅に渉さんが帰ってきましたが、迎えに立ち上がることができず寝込んでいました。その後しばらくの間、家に閉じこもってしいました。あまりの悲しみのために慰めという言葉にさえ拒否反応を示していました。思い出の場所に立つと涙が止まらず、通りがかった人に慰められたこともありました。尚江さんはこのような短歌を詠んでいます。
こわれた家から 持ち帰りきた Tシャツパンツ 洗ってたたみおり もう着ない子に
天国(みくに)とは どこですか どこですか この母に 新しい住所 電話 教えて
ずっと息子の死から立ち直ることができませんでした。26年経って、昨年の集いでやっと人前で証しをすることができたのです。悲しみに沈んで沈んでいたお母さんを慰め続けたのは、姉の森祐理さんの姿でした。仲良しの弟を亡くした悲しみを抱えながら、震災後すぐに、廃墟のような神戸の街の避難所や配給所を回って歌い続けた姿でした。少し外へ出るようになって、子どもを失ったお母さんがたくさんいることを知り、その方々と悲しみを共有することで慰められそうです。息子を失った悲しみに変わりはありませんが、いろいろな人を通して、イエスさまが悲しみを包んでいてくださることに少しずつ気づいてこられたのです。今での証しをするのは勇気がいります。でもご自分が経験したように、私が証しをすることによって、今悲しんでいる人が私の悲しみを共有することで、少しでも慰められることを願ってのことです。
渉さんの声が聞こえてきて、すぐに歌い始めることができた森祐理、26年かかってやっと人前に立つことができた尚江さん、人によって悲しみのどん底から立ち上がるまでの時間は違います。悲しんでいる人のために祈るとき、お声をかけるとき、このことを私たちは忘れてはならないと思います。たとえ地上を去るときまで悲しんでいようとも、私たちは神さまを知っているからこそ、神さまの慰めがいっぱい必要なのではないでしょうか。
今年の神戸の記念集会では、忘れないの漢字一文字と、1・17が灯篭の灯りで描かれたことをお話ししました。震災の悲惨さを忘れないこと、この悲しみを無駄にしないで、悲しんでいる人を思いやること、この経験を忘れないで同じような震災に生かすこと、を心に刻んだのです。
死者の数は6434人でした。その一人が渉さんです。森祐理さんとお母さまの証しを通して、一人の死の陰にはこんなにも深い悲しみがあることを知ることができました。これからもさまざまな災害があるでしょう。コロナの報道でも、毎日、死者の数が報告されています。数字で終わらせないようにしたいのです。報道される数字の一つひとつの陰にある悲しみに思いを馳せて、祈りたいと思います。ただし、私たちは記憶が薄れることっがあります。忘れてしまうことがあります。しかし、たとえすべての人が忘れたとしても、神さまは決して忘れることはありません。その神さまの愛で祈りたいのです。イザヤ書第49章15-16節です。
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。
私たちが災害の被災者にならなくても、愛する人の死を経験します。病に襲われ「どうして私がこんなことになるのか」という経験をします。試練に遭って心折れる経験をします。神さまが私のことを忘れたんじゃないかと思うような経験の連続かもしれません。しかし、神さまは、あなたのことを決して忘れません。神さまはご自分の手のひらに、あなたを刻んでおられます。決して消えないように、忘れないように、しっかり刻み込まれています。この神さまの愛をいただいて、悲しんでいる被災者のために、私たちの周りの方々のために、仲間のために、祈ることを忘れないようにしましょう。どんな悲しみの中にも、神さまが恵みを注ぎ、希望を置いていておられます。そのことを信じて祈るのです。悲しみがすぐに癒えないかもしれません。でも神さまはその方を手のひらに刻んでおられます。イエスさまは悲しみを包んでおられます。そしてイエスさまは私たちに「泣いている者たちとともに泣」く祈りを与えてくださっています。
喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。
(ローマ書第12章15節)
コメント