2022年5月22日 礼拝説教 後藤弘牧師 ルカの福音書第13章22―30節
22 イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。
23 すると、ある人が言った。「主よ、救われる人は少ないのですか。」イエスは人々に言われた。
24 「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。
25 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってから、あなたがたが外に立って戸をたたき始め、『ご主人様、開けてください』と言っても、主人は、『おまえたちがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。
26 すると、あなたがたはこう言い始めるでしょう。『私たちは、あなたの面前で食べたり飲んだりいたしました。また、あなたは私たちの大通りでお教えくださいました。』
27 しかし、主人はあなたがたに言います。『おまえたちがどこの者か、私は知らない。不義を行う者たち、みな私から離れて行け。』
28 あなたがたは、アブラハムやイサクやヤコブ、またすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分たちは外に放り出されているのを知って、そこで泣いて歯ぎしりするのです。
29 人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。
30 いいですか、後にいる者が先になり、先にいる者が後になるのです。」
詩篇第119篇130節は「みことばの戸が開くと光が差し 浅はかな者に悟りを与えます」と語ります。神さまが、今、み言葉の戸を開いて、御霊の光で照らしてくださるよう、お祈りをささげてから説教を始めたいと思います。へブル書第13章20節21節です。
永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように。
また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。
栄光が世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。
朝、車のエンジンをかけると、ナビが起動して、アナウンスを始めます。その際、面白いことに、今日は〇○の日です、と教えてくれます。最初は邪魔だなと思っていたのですが、だんだん楽しみになってきています。たとえば5月18日は「言葉の日」でした。518、ことば、と語呂合わせで記念日を決めている。結構、語呂合わせの記念日が多いのです。パソコンも開くと、今日の天気や主なニュースの案内といっしょに「今日は何の日」という記事があります。先週18日、見たことのある顔の写真が添えられていました。一般企業のマイクロソフトのページですから、まさかと思ったのですが。マルティン・ルーサー・キング・ジュニア、キング牧師でした。キング牧師が暗殺された日かなと思ったのですが、そうではなく、キング牧師の「バーミングガム刑務所からの手紙」が公開され出版された日だというのです。牧師の記念の情報を流すとは、さすがアメリカの会社だなと思いました。日本では、なかなか教会の出来事を紹介してくれないので、嬉しい驚きがありました。ただし不勉強な者で、この手紙のことは知りませんでした。
キング牧師は、人種差別のひどかった1960年代のアメリカで、非暴力のデモによって人種差別をなくす活動の先頭に立っていました。アメリカ南部のアラバマ州のバーミングガムの町の人種差別は特にひどかった。キング牧師はバーミングガムの町でデモ行進をし、町の警察に逮捕され牢に入れられました。すると町の白人の牧師たちが、キング牧師はよそ者であり、過激すぎる、と町の牧師たちに関わらないようにという声明を出しました。キング牧師はいっしょに戦おうと訴えて、刑務所から長い長い手紙を書いたのです。キング牧師は、預言者アモスも伝道者パウロも改革者ルターもジョン・バニヤンもエイブラハム・リンカーンもトーマス・ジェファーソンも、人は神の前に平等であることを過激に訴えたのではないか、と問いかけました。何よりもイエスさまの愛こそ過激だったのでないですか。いのちまで捨てられる愛で、捨身の愛で、それこそ過激な愛で、すべての人を愛し、敵をも愛された方だったのではありませんか。そう訴えました。単純に過激の良し悪しではなく、どのように過激なのかが大事なのであって、イエスさまは愛において過激だったではないか。だからイエスさまに従った人たちは、愛において過激だったのだ。だから私キングも愛において過激なんだ。キング牧師は、パウロが獄中で書いたエペソ・ピリピ・コロサイ・ピレモンの獄中書簡に心を合わせながら、刑務所から過激な愛で手紙を書いたのです。
イエスさまは「エルサレムへの旅を続けておられた」。とても意味深い言葉です。以前にも紹介しました第9章51節にこう語られています。
さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。
イエスさまは、ガリラヤを中心に伝道されていましたが、十字架と復活のときが近づいてきたことを知り、「御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた」。イエスさまは、私たちの救いのために、十字架を最終目標に定めて、毅然と進み始められました。御顔とご意思をエルサレムの小さな丘に立てられる十字架に照準を定められたのです。十字架から1ミリもずれないように固定なさったのです。イエスさまは誰にも頼まれたわけではありません。私たちが滅びに向かっているのを、ただただ憐れんでくださり、いのちを捨てて捨身の過激な愛で救おうと決めておられたのです。
ふさわしくないたとえかもしれませんが、311の報道で見た、いくつかの津波の映像を思い出します。それは、高台や山の斜面に避難した人たちが、逃げ遅れている人に向かって必死に大声で叫んでいた映像です。黒い津波がその人たちをのみ込もうとしているのです。「早く、早く、こっちに来て!」
イエスさまの目には、罪による滅びの津波が、私たちの背後まで迫って来ているのが見えているのです。イエスさまは、「早く、こっちに来なさい」と叫ぶだけではなく、滅びの津波に飛び込んで、私たちを抱え上げ救い出してくださるのです。イエスさまご自身は滅びにのみ込まれて死なれるのです。キング牧師の言葉で言えば、これがイエスさまのいのちまで捨ててくださる過激な愛なのです。私たちは、イエスさまの捨身の過激な愛に愛されているのです。これから続くエルサレムに向かう旅のみ言葉は、それだけでなく福音書のすべてのページは、イエスさまの捨身の過激な愛を脇に置いてしまうなら、み言葉のほんとうの意味は分からないのです。さばきに関わるみ言葉がただ恐ろしい言葉にしか聞こえなくなることもあります。今日のみ言葉も、イエスさまの捨身の過激な愛を見失っていたら、恐ろしいみ言葉になってしまい、飛ばして読みたくなるでしょう。
私たちは、イエスさまが、ご自身の捨身の激しい愛に突き動かさて、私たちを救うために十字架に向かっておられることを忘れずに、読んでいきたいと思います。
23節です。
すると、ある人が言った。「主よ、救われる人は少ないのですか。」イエスは人々に言われた。
「主よ、救われる人は少ないのですか」。これは救いについて、他人ごとのよう言っている呑気な質問です。救いが自分と直接に関わっているなら、救われる人が多いの少ないなどと言っている余裕はありません。「私は救われますか」あるいは「どうしたら救われるのでしょう」となるでしょう。聖書には「ある人」としか書いていませんが、ユダヤ人、それもファリサイ派の人だと考えられます。ユダヤ人は自分は神の民だから救われている、そしてファリサイ派の人なら、自分は神の民でありしかも律法を守っているから、間違いなく神の国に入ることができる。安心しきっているのです。それで他人事のように、呑気に、救われる人は少ないのかなと、イエスさまに聞いたのです。
聖書をよく読んでいたファリサイ派の人なら、私たちの聖書には載っていませんが、続編にあるラテン語のエズラ記第7章47節を思い出していたのかもしれません。
わたしは、今分かりました。来るべき世に喜びを受けるのはごくわずかな人々であり、多くの人々は懲らしめを受けるのです。
「ああ、救われて神の国に入れる人はごくわずかなんだな」
一方、ここにいる人たちは、イエスさまのお話を聞きに来てています。イエスさまを信じるまでには至っていないかもしれませんが、イエスさまを「主よ」と呼んでいます。イエスさまは真理を語っておられるようだ。ほんとうに真理なら、私も信じたい。でもまだ救いについてよく知らない。救われる人は少ないのかどうか、聞いてみよう。そのように真剣に救いを求めて聞いているのかもしれないと考えることもできます。
呑気であれ、真剣であれ、どちらにしても、救われる人が少ないのかという質問は、的外れな質問になっているのです。ですから、イエスさまは、救いの要に導くために、少ないか多いかには答えないで、こう言われました。24節前半です。
「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。(24節)
「狭い門から入るように努めなさい」。マタイの福音書に同じようなみ言葉があります。第7章13-14節です。
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。
マタイの福音書では、狭い門と大きい門を比較しながら、狭い門は見出しにくく、みんな大きい門から滅びに向かってしまう、というたとえです。
ちょっとややこしいお話をしますが、マタイの「門」は、元のギリシャ語も英語で言えば「ゲート・門」です。ただし、今日のルカの福音書の「門」は、実は、元のギリシャ語を英語で言えば「ドア・戸」なのです。マタイの福音書の「狭い門」の方がよく知られていたので、それに合わせてここも「門」と翻訳をしたのかもしれません。ただし、多くの日本語聖書はルカの「門」を、ギリシャ語に合わせて「戸口」と訳しています。25節に「戸を閉めて」「戸をたたき」とありますが、この「戸」は、24節の「狭い門」の「門」とギリシャ語では同じ言葉です。ですから、24節を「狭い戸」「狭いドア」から入るように努めなさいと考えた方が、25節以下とのつながりがスムーズです。
ルカの福音書は、「大きい戸」と比較せず、ただ「狭い戸」だけを提示しています。25節のつながりから考えると、家に入るには狭い戸からしか入れない。この家は明らかに神の国ですから、救われるには狭い戸から入らなければならない。救いは多い少ないの問題ではなく、狭い戸から入るなら救われるということが要です。狭い戸から入らなければ救われないのです。イエスさまは、質問した人を含め、聞いている人たちに、「あなたがたは狭い戸から神の国に入りましたか」と問い直されたのです。同時に、「狭い戸から神の国に入ろう」と招いておられるのです。
では、「狭い戸」とはどんな戸なのでしょうか。イエスさまは、24節後半からのたとえで明らかにしています。25節「家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまって」。戸が閉まるから狭いと言っているのではありません。この狭い戸は、家の主人の意志で、定められた時に閉められてしまうのです。狭い戸は二度と開かなくなるのです。家の主人は、イエスさまです。これは世の終わりのとき、神の国に入る狭い戸が閉まってしまうことをたとえているのです。狭い戸が閉まってしまうと、いくら叩いても、開けてくださいと懇願しても、開かないのです。主人に「おまえたちがどこの者か、私は知らない」と言われてしまう。すると閉め出された人たちが訴えます。私たちはあなたと一緒に食事をしたことがあります。あなたの説教をしっかり聞きました。しかし、主人は「おまえたちがどこの者か、私は知らない。不義を行う者たち、みな私から離れて行け」と拒絶します。
ここから狭い戸から入れない理由が見えてきます。ふたつ挙げることができるでしょう。
ひとつは、イエスさまと食事をしたり、イエスさまのお話を聞いただけでは狭い戸から入ることはできません。
一年に一度か二度、明治学院大学のチャペルでの結婚式の司式を頼まれることがあります。新郎新婦が結婚して千葉に新居を定めている方たちの式です。信仰を持っていない方たちの式ですから、結婚式をきっかけに信仰に興味を持ったなら、教会は近い方がよいと考えているのです。式前に面談して聖書の言葉を分かち合って、式では新郎新婦にふさわしい言葉で福音をメッセージします。式後、新郎新婦や列席者から、よい結婚式でしたという声をよく聞きます。新郎新婦とはクリスマスカードのやり取りが続いています。しかし、それだけでは「狭い戸」から入ったことにはなりません。
もうひとつの「狭い戸」から入れない理由は、「不義を行う者」だからです。「義」は英語で「righteousness」と言いますが、それに否定の「un」をつけると「unrighteousness」となって、「不義」という言葉になります。ギリシャ語も同じです。「義」は神さまに正しいと認められた人です。しかし「不義」は、神さまにあなたは正しくないと言われる人です。不義のまま生きている人は、狭い戸から入れないのです。このようなイメージが考えられます。狭い戸は「義」の人だけが通れる。しかし、義に不かつくと、不が邪魔で狭い戸は通れないのです。不を取り去って義にならなければ狭い戸から入れないのです。
では、どうやって「不」を取り除くのか。つまり罪を取り除くのかという問題になってくるのです。罪はいくらがんばって徳を積んでも、よい行いを積んでも、自分で取り除くことができません。イエスさまのいのちを捨ててくださる捨身の過激な愛によって取り除いていただくしかないのです。イエスさまの捨身の十字架の愛によって心打たれ、イエスさまを信じて悔い改めたときに、罪が赦され、「不」が落ちるのです。その時、神さまが、あなたは「不義」の「不」という「罪」が取り去られたので義と認めます、わたしと正しい関係となった、と言ってくださるのです。晴れて狭い戸から入ることができるようになるのです。狭い戸の狭さは罪のままでは通れない狭さです。
先月、ニュースを見ていたら、横田早紀江さんが細野官房長官に面会して、積極的に行動して、娘のめぐみさんを早く取り戻して欲しいと怒りを込めて訴えていました。20年6月に夫・滋さんを亡くし、早紀江さんもこの2月に86歳になりました。残された時間を考えてでしょう、取り戻すのはもちろんのこと、一日も早く会って話ができるようにして欲しいと言っていました。中学一年生だっためぐみさんが失踪してから45年が経ってしまいました。早紀江さんは、14年に「愛は、あきらめない」という題名の本を出版しました。母親の子を愛するあきらめない愛の激しさに感銘を受けました。同時に、迷い出た羊を、見つけるまであきらめないで捜すイエスさまの姿が重なって見えてきました。早紀江さんは、イエスさまの捨て身の愛、過激な愛に励まされて、86歳になっても積極的に、あきらめないで、娘を取り戻そうとしているのです
イエスさまは、罪に陥ってしまった私たちを、捨身の過激な愛で罪を取り除き、取り戻そうとしておられます。狭い戸から戻ってくるように招いてくださっています。イエスさまは、誰に対しても「私は知らない」と言って拒否したくないのです。誰ひとり外に放り出して、泣いて歯ぎしりさせたくないのです。狭い戸から入るように強く強く過激に招いておられるのです。
めぐみさんが拉致された1977年の7年後1984年、早紀江さんは私たちと同じ日本同盟基督教団の新潟にある五十嵐キリスト教会で、マクダニエル宣教師から洗礼を受けています。多くのキリスト者が早紀江さんと心ひとつにして祈り続けています。私たちもその祈りの輪に加えさせていただきたいと願っています。
30節の「東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国の食卓に着」いた人たちは、「狭い戸から入るように努めなさい」「努めなさい」と言われているように、一所懸命、神の言葉を聞き続け、ひとり子のイエスさまを十字架につけられる神の過激な愛に触れられて、悔い改めを導かれ、罪赦された人たちです。ユダヤ人だけではなく、異邦人もです。男も女も、自由人も奴隷もです。悔い改めによって「不」を取り除いていただいた人たちです。
これまでユダヤ人たちは、自分たちこそ神に選ばれた神の民であり、神の国に入る保証を得ている「先の者」だと考えていました。しかし、アブラハム・イサク・ヤコブのような父祖の血筋だけでは狭い戸からは入れません。イエスさまの捨身の愛によって悔い改めに導かれた異邦人たち「後の者」が、先に狭い戸を通って神の国の食卓に着くことができたのです。
イエスさまの捨身の愛によって、「東から」来て、神の国の食卓に着いた人たちの中に私たちもいるのです。先の質問、少ないのか、多いのかと言えば、多くの人が、戸が閉まる前に、狭い戸から入ることができたのです。しかし、人類の歴史から考えたら、少ないとも言えます。ですから、多いのか少ないのかを考えている場合じゃないのです。「あなたは狭い戸から入れていただきましたか」に答えられるかどうかが大事なのです。
キング牧師は、1968年4月4日に暗殺され、39歳で亡くなりました。その前日、「私は山の頂に立った」という説教をしました。説教の貴重な録音が残っています。説教の最後のところで叫ぶようにこう言っています。「私には不安はない、私は誰も恐れない。この目が来つつある栄光の主イエスを見たんだ」と語りました。まるで、死を預言したような説教でした。「この目が来つつある栄光の主イエスを見たんだ」。狭い戸から迎えに来られたイエスさまをはっきり見たのです。説教した翌日、銃弾に打たれるという悲劇かもしれませんが、この戸を通って神の国へ入って行きました。
説教の初めに、今日は何の日ですか?というお話をしました。私たちはこう答えます。「狭い戸の日」「悔い改めて、狭い戸から神の国に入る日」
今日、初めて神の国に入る方のためだけではありません。イエスさまを信じた私たちも、気がつくと神さまのところから迷い出て、ふらふらふらふら、あちこちそちこち、さまよってしまいます。ナビから、パソコンから、こう聞こえてくる。今日は何の日ですか?「そうだ、狭い戸の日だ」。新たな気持ちで不を捨てて狭い戸から入れていただこう。毎日、毎日、狭い戸から神の国の食卓について、イエスさまと食事するんです。食事をしながらいっぱい話をするんです。イエスさまからみ言葉を聴かせていただくんです。私たちはどんな困難のなかにあっても、イエスさまと交わりながら豊かに生きることができるように招かれているんです。忘れてはならないのは、イエスさまが狭い戸をお閉めになるときが来ることです。だから、狭い戸から入る決心を、明日に延ばすミスをしないようにしましょう。「狭い戸から入るように努めなさい」。捨身の愛で招いてくださっているイエスさまに、今日、今、お答えするんです。Ⅱコリント第6章2節をお読みして説教を終えたいと思います。
見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。
イエスさまが招いておられる狭い戸が、十字架の形に見えてきたのではないでしょうか。お祈りします。
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