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「主は私の羊飼い」

2022年3月13日 礼拝説教 後藤弘牧師

詩篇 第23篇 ダビデの賛歌。


1 主は私の羊飼い。

  私は乏しいことがありません。

2 主は私を緑の牧場に伏させ

  いこいのみぎわに伴われます。

3 主は私のたましいを生き返らせ

  御名のゆえに 私を義の道に導かれます。

4 たとえ 死の陰の谷を歩むとしても

  私はわざわいを恐れません。

  あなたが ともにおられますから。

  あなたのむちとあなたの杖

  それが私の慰めです。

5 私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え

  頭に香油を注いでくださいます。

  私の杯は あふれています。

6 まことに 私のいのちの日の限り

  いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。

  私はいつまでも 主の家に住まいます。


 先週金曜日、311東日本大震災追悼礼拝が、コロナ禍ですので、オンラインで行われました。仙台まで行くのはたいへんですので、オンラインで行われるのは、不思議な恵みだなと思いながらたいへんありがたいことでした。仙台近郊の教会が協力して開催していますので、仙台の教会の教会員が多かったようです。礼拝では311をきっかけに教会に行くようになって洗礼を受けた方の証しもあり、とてもよい追悼の礼拝でした。その中で、森祐理さんが賛美のゲストとして4曲ぐらい歌われました。

 その森祐理さんが配信している賛美のユーチューブ動画を見ていると、背景にイエスさまの絵が飾られていることがあります。中でも羊飼いが迷い出た羊を見つけて肩に担いでいる絵が印象に残っています。イエスさまの絵はたくさんありますが、森祐理さんがこの絵を選ばれたのには理由があると思います。阪神淡路大震災で弟さんを亡くされて、心に大きな穴があいてしまい、途方に暮れていたとき、羊飼いのイエスさまが私を担いでくださったんだという経験をなさったのでしょう。森祐理さんはこの絵を通して「主は私の羊飼い」と告白しておられるんだなと思いました。

 私たちも羊飼いイエスさまに見出していただいた経験を何度も重ねているので、喜びを込めて「主は私の羊飼い」と証しすることがあります。「主は私の羊飼い」。私たちは自分の告白の言葉として愛しているんだなと思います。もとの言葉は「私の羊飼いは、主です」と翻訳することもできます。荒野のような人生を生きて行くとき、「私の羊飼いは主の他にはいません」「主が導いてくださらなければ私は滅んでいたでしょう」という主を堅く信頼している告白です。


 私が聖書を読み始めたのは38歳でした。しばらくして出会ったみ言葉がこれでした。


事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。(申命記第2章7節) 


私たちの信仰の先輩であるイスラエルの民は、エジプトから約束の地まで、40年、荒野の旅をしました。このみ言葉は主がモーセに言われた言葉です。「40年の間、主であるわたしは、あなたを見守っていた、あなたとともにいた、あなたは何一つ欠けたものがなかった」。あまりにも個人的な読み方かもしれませんが、この40年の間というのが、ちょうど40歳ぐらいだった私の人生に重なりました。それまでは欠けているものばかりに目がいってしまい、満たされない思いが強かったのです。しかし、「あなたには何一つ欠けたものがなかった」というみ言葉に「アーメン」と言っている自分がいました。不思議でした。欠けていたと思っていたところで神さまと出会うことができました。最も欠けていたのは愛でした。そこに主の十字架の愛が輝き出したのです。主が欠けを満たしていてくださった。主の愛を知ってから40年を振り返ると、主は私の人生の旅を見守り、ともにいて、欠けを満たし続けておられたことが分かったのです。この「欠けたものがなかった」と詩篇の「乏しいことがありません」は、同じ言葉で書かれています。

 「主は私の羊飼い 私は乏しいことがありません」について、ある注解者が、詩人はそれまでの人生を振り返ったとき、神さまは何一つ欠けることなくすべてを満たしてくださっていたことに思いが至り、主への感謝があふれてきて、それを羊飼いと羊のイメージに託して書いたのだろうと言っていました。その通りだなと思いました。不平を言うこともあったけれども、実は欠けるものは何一つなかった。主は私にふさわしいもので満たしていてくださった。他人と比較していたときは分からなかったのです。あなたもあなたの人生を振り返るなら、同じような思いに至るのではないでしょうか。

 「乏しいことがありません」を具体的にこう歌いました。


主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。(2節)

主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。(3節)


羊飼いは羊を間違いなく、緑の牧場へ導いて良質の草を食ませ、いこいのみぎわに伴い良い水を飲ませます。そのように羊の体を養います。詩人は「主は私のたましいを生き返らせ」と言っていますから、自分を羊にたとえていたことを明らかにしています。主は私の肉体はもちろんのこと、たましいに良質な食べ物と飲み物を与えて、涸れてしまうたましいを生き返らせてくださる。主は同じように私たちを養っていてくださいます。では、主が私たちに与えてくださる良質の草や水は何でしょうか。第一にみ言葉でしょう。

 たとえば、私が、先ほどの申命記のみ言葉に出会って、そうだ、主がともにおられ何一つ欠けるものはなかったんだと知ったとき、不平を言っていたことを悔い改めるとともに、涸れていたたましいは瞬時に潤され生き返りました。そのように主は、日々、み言葉によって、私たちのたましいを生き返らせ、神のみもとへの道を導いておられるのです。

 今、世界はコロナ禍の上にウクライナの戦争が重なり、心が渇きどうしても重くなってしまいます。こういうときこそ、主に緑の牧場へいこいのみぎわへ導いていただきたいと願わされます。もちろん主は喜んで導いてくださいます。今、主は、私たちをこの礼拝に招き、緑の牧場に伏させみ言葉を与え、いこいのみぎわでいのちの水を飲ませてくださっています。主は、ほら、あそこに牧場があるぞ、こっちに水飲み場があるよと、ただ指で行くべき道を指し示すだけではありません。「伴われます」。


 この「伴われます」の「伴」という漢字は、マラソンを経験したことのある私に、伴走者という言葉を思い起こさせます。視覚に障害がある方がマラソンを走る時、伴走者は、その方の手と自分の手をひもで結んでいっしょに走ります。こうすればコースを間違えることもなく、安心してゴールまで走ることができます。主は、そのように私たちに伴って、手を引いてゴールである御国まで導いてくださっています。

 「御名」とあります。私たちの名前もそうかもしれませんが、旧約聖書では名前は性質、性格を表しています。「御名」、神さまのお名前はどんなご性質が表されているのでしょう。出エジプト記の第3章で、神さまはモーセに名前を教えてくださいました。「私は在る」という名前だ。神の御子であるイエスさまは、弟子たちが嵐の湖上で溺れかけ死を恐れていたとき、水の上を歩いて来られ「私だ」と言われました。この「私だ」は、元のギリシャ語を英語にすると「I am」。「わたしは在る」「ここにいる」「あなたとともにいる」という意味です。クリスマスでよく読まれるマタイの福音書にはこうあります。


「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイ第1章23節)


神の御名は「あなたとともにいる」です。神さまのご性格、つまり本質は「私たちとともにおられる」方なのです。詩人も4節ではっきり言いました。「あなたがともにおられる」。


 この詩篇の羊飼いと羊は、どんなところを歩んでいるのでしょうか。それは私たちが主とともにどんなところを歩んでいるかを表しています。

 私の友人の牧師が、婦人会の依頼で、詩篇第23篇の講演をすることになったときのことを話してくれたことがありました。話を始める前にスライドを二枚見てもらった。ひとつはオーストラリアの広い牧草地で草を食んでいる羊たち。もう一枚は、茶褐色の草木のまったく生えていない荒野を、羊飼いに一列になって従っている羊たち。そしてこう聞きました。この詩篇の羊たちはどちらだと思いますか。みなさんならどうお答えになりますか。私たちは、2節の「緑の牧場」や「いこいのみぎわ」という言葉のイメージから、緑豊かな牧場を無意識のうちに思い描いているかもしれません。しかし、パレスチナの羊飼いと羊は、二枚目のような荒野の中を、牧草と水を求めて歩き続けるのです。

 羊飼いの責任はとても重いのです。道を間違って、牧草や水が得られなかったなら、羊たちのいのちに関わるのです。羊飼いの導きが羊の生死を分けるのです。詩篇はこのような厳しい荒野をこう言い表しました。「死の陰の谷」。

 詩篇を研究している人が、この「死の陰の谷」だろうと考えられているところに行ったときのことを報告してくれました。この谷は熱帯にある荒野が、冬の雨季の激しい雨によって削られた谷です。反対に乾季にはカラカラに乾きますから、水はまったく流れません。「涸れた谷」とも呼ばれています。暑い夏の間は、谷底は旅人や羊たちの道となります。この谷をワジと呼び、エルサレム付近からエリコ近くのヨルダン川まで続くワジは、特に「ワジケルト」と呼ばれています。この断崖にはセントジョージ修道院があります。これがびっくりするような建物なのです。中国の山岳地域にも見かけることがありますが、崖の上からも下からも真ん中あたりにへばりついたような形に造られています。建物としては4・5階建てぐらいですが、断崖の五分の一の大きさでしかありません。谷の深さを想像していただけると思います。渓谷と呼んだ方がよい地形です。詩篇第23篇はこのワジケルトを思い起こしながら書かれたと言われているのです。乾季の太陽が照りつける中、羊飼いと羊はこの「涸れた谷」を牧草と水を求めて歩き、一歩踏み外せば転がり落ちてしまうような断崖に刻まれた細い道も上り下りしたのです。太陽が傾いて日が当たらなくなると、谷底は暗闇です。ワジケルトにはルカ福音書第10章に出てくるような強盗がよく出没しました。まさしくその名の通り死と隣り合わせの「死の陰の谷」なのです。

 「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 」。「たとえ」というと「死の陰の谷」を歩むことは、稀なことのように感じられます。しかし、この元の言葉の意味は確かに「たとえ」と訳すこともありますが。「また」と訳すこともできる言葉です。ですから、逐語っぽく訳すと「死の陰の谷の中を歩むだろうときもまた」となります。「死の陰の谷」を歩くことは、稀なことではなく、いつものことなのです。さらに旧約聖書を記しているヘブル語をギリシャ語に翻訳した最も古い70人訳は、「谷」を「ただ中」と訳しています。「死の陰のただ中」。人は死の陰と隣り合わせに生きているというより、人は死の陰のただ中を生きていると考えています。


 先月、311東日本大震災追悼礼拝に先立って、311東日本大震災シンポジュームが行われ、4つの講演がありました。講師のひとりは吉田隆牧師でした。311の大震災時、吉田牧師は仙台の教会に仕えていました。現在は神戸にある日本改革派神学校の校長をしておられます。講演の中でこのような証しをされました。311大震災の2・3日後、交わりがあった仙台のカトリック教会の神父の葬儀が営まれることになった。夜、仙台の町はまだ停電が続いており闇に覆われてた。雨が降っていた。福島の原子力発電所が爆発し、放射能物質が含まれている雨。被爆した広島ではこう呼んでいた、黒い雨。暗闇の中、葬儀という死に向かって、黒い雨の中を歩いている。詩篇第23篇の「死の陰の谷」という言葉を、こんなにリアルに感じたことはなかった、「今、死の陰の谷を歩いている」。

 そのシンポジュームで、ふたりの講演者が同じ視点を語っていました。世界は人間が考えた理想の世界を目指して歩んできた。それは福島の原子力の町、双葉町が町の中心の通りに掲げていたアーチ状の看板によく表れていた。「原子力、明るい未来のエネルギー」。誰しもが、明るい未来に向かっていると思っていた。しかし、歴史を紐解くと大きな津波は何度も三陸を中心に東北を襲ってきた。私たちは「明るい未来」、人の思い描く「理想の世界」に向かっていたと思っていたけれども、実は、「死の陰の谷」を歩み続けているのではないか。ロシアのウクライナ侵攻の悲劇は、人類は進歩しているのではなく、人間の罪の深さが変わらないことを明らかにしたのではないでしょうか。

 311関連の報道番組の中で「原子力、明るい未来のエネルギー」という標語の発案者を取材していました。当時は中学生だった。町の標語を考えるようにという宿題が出たので、大人たちの言うことをそのまま信じて標語にした。「原子力、明るい未来のエネルギー」。それが町の標語として選ばれ表彰状ももらった。とてもうれしかった。しかし、今、双葉町は帰還困難地域。今でもその看板は立っている。多くの番組で事故以前の原発神話 

の象徴として映し出される。テレビで見るたびに後ろめたい気持ちがすると言いました。一時帰宅が許されたとき、防護服を着て、看板の前に立ち、カメラのアングルで看板に重なるように、文字を書いたスケッチブックを掲げて写真を撮った。このような標語に変わった。「原子力、殺戮の未来のエネルギー」。今年中に帰宅が許されることになり、家族といっしょに町に帰る準備を始めている。自分にも安全神話を作った責任の一端があるのではないかという複雑な思いを抱えながら。他人ごとではありません。私たちが最近経験している311をはじめ多くの自然災害や、コロナ禍、そしてウクライナ侵攻を思うと、私たちも「明るい未来」に向かってではなく「死の陰の谷」を歩いているのが実感ではないでしょうか。

 しかし、忘れてはならないのは、私たちは一人ぼっちで歩いているのではないのです。主が伴っていてくださるのです。主が死の陰の谷をいっしょに歩いて、緑の牧場、いのいのみぎわにいつも導いてくださっているのです。道中、どんな危険が襲ってきても羊飼いはむちと杖で羊のいのちを必ず守ってくださいます。


 この詩篇のユニークなところは、4節までは、主は羊飼いのイメージで語られていましたが、5節に入ると、主の家の食卓に招く主人のイメージに大きく変わります。


私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。 私の杯は あふれています。(5節)

まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。 私はいつまでも 主の家に住まいます。(6節)


この主の家の食卓の場所に驚いてしまいます。敵が目の前にいるのです。4節の言葉で言えば「死の陰の谷」の真っただ中に備えられているです。たましいが渇き切り心が折れそうなところに食卓を用意してくださるのです。主の食卓です、祝福の喜びの食卓です。頭に香油を注いでくださる、当時の最高のもてなしです。杯も祝福があふれています。食卓、香油、杯、「死の陰の谷」を歩んでいるときにも、主の「いつくしみと恵み」が追ってくることを表しています。それだけではないでしょう。いつくしみと恵みで覆ってくださるのです。この食卓が、主がともにおられる恵みを具体的に言い表しているのです。


 311東日本大震災追悼礼拝の中で姉妹の証しがあったことをお話をしました。姉妹は震災によって、家は流され、働いていた仕事も失いました。避難所で途方に暮れていました。そこに牧師となった同級生が訪ねて来てくれた。体が冷えないようにと毛布を渡してくれた。それから何度も訪ねて来て、食べ物や飲み物などいろいろなものを差し入れてくれた。しばらくして教会に来てみないかと誘われて、教会に行ってみた。みんな温かく迎えてくれて、優しさが心に沁み、教会に通うようになった。そしてイエスさまを信じて洗礼を受けることができました。その証を聞きながら、プログラムに記されていた教会名からその牧師は「ユッキー」だと思いました。教会のHPを見たら確かに「ユッキー」でした。仙台の隣の塩釜の教会で牧師として働いています。東京基督教大学の神学生時代、ユッキーは年齢は年下ですが、学年はひとつ先輩でした。子ども集会でいっしょに奉仕をしたとき、子どもたちを導くときの大切な心得をたくさん教えてもらいました。「緑の牧場に付させ、いこいのみぎわに伴います」という羊飼いイエスさまの姿にユッキーが重なりました。毛布からはじめ、食べ物や飲み物を差し入れ、死の陰の谷を歩んでいた姉妹のたましいを、イエスさまが生き返らせるお手伝いをしたのです。そして姉妹はイエスさまと出会って、洗礼に授かることができたのです。姉妹は「死の陰の谷」のなかで途方に暮れていましたし、厳しい現状は変わりませんが、主の家で祝福の食卓に与り、いつくしみと恵みに覆われたのです。

 私たちはこの世の「死の陰の谷」を歩み続けています。しかし、主の家の食卓に導き入れられるなら、執拗に追って来る敵や災いの中にあっても、主のいつくしみと恵みに満たされるのです。なぜなら主の食卓は聖餐の食卓だからです。イエスさまは十字架でいのちを捨てて、私たちを罪と死の暗闇から救い出して、この食卓に招いておられます。「死の陰の谷」のただ中に建つ教会に主の食卓を備えておられます。ここが主の家です。いのちの日の限りにとどまらず、死の向こう側でも主の家に住まわせていただける約束でもあるのです。この主のいつくしみと恵みは、主がともにいてくださるから実現するのです。


 ウクライナの子どもとお母さんたち、そして高齢のおばあちゃんたちが、川に渡した幅50センチくらいの板を、砲撃の爆音が轟くなか、兵士たちに支えられながら、渡っていました。まさに死の陰の谷を歩んでいると思いました。そこにも羊飼いイエスさまがおられると信じています。

 またウクライナの最前線で戦っている兵士が言いました。「同じ信仰なのに、どうして戦わなければならないのか。しかし私は家族と国を守らなければならない」。この言葉を聞いて唸るしかありませんでした。「同じ信仰」とは、ロシア正教会とウクライナ正教会のことでしょう。正教会は国ごとに正教会を組織します。しかし、もちろん同じ信仰、同じイエス・キリストです。「主は私の羊飼い」というみ言葉を愛しているに違いないのです。攻撃を受けているウクライナ兵も攻撃をしているロシア兵も、主の羊です。羊同士が殺し合うことを、イエスさまがどれほど悲しんでおられることでしょうか。

 親しい高齢の牧師が言いました。過去、日本も今のロシアと同じように、アジアの国々を武力で侵略した過去がある。はっとしました。私たちはロシアをさばくところに立つのではなく、神の御前に人間の罪深さを悔い改めるところに立って祈らなければと思いました。

主のいつくしみと恵みは、どんな軍隊よりも最新の兵器よろも大きく深いのです。主の愛によって、主は食卓に、聖餐の食卓にすべての罪人を招いておられます。聖餐の食卓の真ん中に十字架のイエスさまがおられます。この方は平和のために、すべての罪を負って血を流してくださいました。誰よりも血を流す苦しみを知っておられる方です。この方が私たちの羊飼いです。この方の羊を呼び集める御声が戦場に響きますように。すべての兵士も指導者も「主は私の羊飼い」と告白できるように祈ります。


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