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教会堂 (2) ぼかし.png

ごあいさつ 
ようこそ千葉キリスト教会へ 

主、われを愛す。主は強ければ、われ弱くとも、恐れはあらじ。

これは子どもたちといっしょに歌う讃美歌の一節です。私たちはイエスさまに愛されています。イエスさまは死と罪を打ち破いてよみがえられた神の御子です。この方がともにおられるから、私たちは恐れず歩み続けることができます。教会はイエスさまを信じ従う者たちの群れです。そして、あなたにイエスさまの大きな愛をご紹介したいと願って、あなたが来られることを待っています。礼拝で聖書から神の言葉を聴いて、先頭のイエスさまに従って、この世の荒波をいっしょに渡って行きましょう。教会員一同
​私たちは伝統的で正統なプロテスタントのキリストの教会です。
1978年 稲毛区の愛隣幼稚園のホールを借りて礼拝を始める。
1994年、稲毛駅近くの商店街の一角にある借家で礼拝を始める。
2011年、現在の西千葉に会堂を移し礼拝を続けています。
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主任牧師 後藤弘
 1955年7月、杜の都仙台に生まれる。子ども頃のあだ名は「ごんべさん」。その名の通り素朴な田舎の男の子だった。
 小学時代は311で壊滅的な被害に遭った名取の浜へサイクリングでよく行っていた。だから311の報道で名取の町が黒い波に飲み込まれる映像を見て大きな衝撃を受けた。
 中学時代はテレビドラマ「柔道一直線」に憧れ柔道部へ。またお年玉と小遣いを貯めた5千円で買った中古の緑のドラムが自慢だった。この緑のドラムとの出会いを作文に書いた。作文は苦手だったが入賞しびっくり。
 高校時代はロックからフォークまで、いろいろなバンドでドラムを叩く青春を送った。青春とは言っても、この時代のロックは学生運動やヒッピームーブメントのの影響下にあり反社会的なもの。「決められたレールなんか走るもんか」と息まきながら、青春の悩みに埋没。とうとう卒業式の数日前に家出を決行。若気の至りだった。
 放浪の旅の第一歩は、池袋北口にあった地下一階のジャズ喫茶。コーヒー香りとタバコの煙りの入り混じった穴倉でアルバイト。テクニクスのターンテーブルとマランツのアンプが懐かしい。3年半の家出は悲惨なものでした。ただしこの悲惨さを知っていたので、ここのホームページにレンブラントの絵画を貼っているが、もとになった聖書の物語は、「放蕩息子」と呼ばれ、家出をした息子を父が大きな愛で迎えるという物語である。37歳にして初めて聖書を読み始め、この物語に出会った時、「俺のことが書いてある」と驚いた。しかし聖書にすっと入り込むことができた。これも神のご計画のうちだったのだと思う。神のご計画は人の知恵ではおしはかることができない。
 1992年クリスマス。結婚7年目、妻とふたりの子どもたちとみんなでクリスマス礼拝に参加。子どもたちが行っていたスイミングスクールで、妻が教会の人からチラシをもらったのがきっかけだった。クリスマス礼拝の後、神の救いのドラマが始まった。礼拝後、4歳の長女が迷子になったのだ。牧師や教会員といっしょに捜したが見つからず、警察に捜索願を電話。無事、見つかってみんなで手を取り合うようにして喜んだ。帰り際、牧師から「失われた羊の物語」にアンダーラインを引いてもらい新約聖書をいただいた。翌年から何の抵抗もなく礼拝に通うようになり、1回も欠かさず現在に至る。神が深い憐れみで罪深い夫婦を丸ごと捕えてくださった。
 1993年イースター、38歳の春、涙と鼻水でびしょびしょになりながら洗礼を授かる。その夏に松原湖聖会に参加。そこで聴いた説教を通して残りの人生を神に献げるように、神からの招きを受けた。
 1997年4月、東京基督教大学に入学。息子や娘のような青年たちに囲まれて神学を学ぶ。
​ 2001年3月、東京基督教大学を卒業し、この教会に遣わされ現在に至る。
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